悲劇的な状況から導かれる良い結果

ある話を紹介したい。先日、私は自動車事故で娘を失った女性に関する記事を読んだ。女性は次のように語っていた。「私は4歳の娘ナオミを車の後部座席に乗せてスーパーに行く途中でした。男の人が運転する車が赤信号を無視して私たちの車に激突しました。その事故で、ナオミは亡くなりました。」

女性はこう続けた。「私は気が動転してしまいました。私にこのような仕打ちをする神に腹を立てました。私は神に、なぜ代わりに私が死ななかったのかと問いかけました。私には何一つ納得できませんでした。神は、私を愛していたなら、なぜ娘を救ってくれなかったのでしょう。」

彼女の次の言葉に私は驚いた。「このひどい出来事から生じた良いことに気付いた時、私にとって事態は変わり始めました。事故の前は、夫と私は結婚生活がうまくいっていませんでした。娘の死は、事態をさらに悪化させただけでした。数週間後、何度目かの話し合いの後に、夫も私も泣き始めました。突然、私たちは、この苦難を乗り越えるためにお互いを必要としていることを悟ったのです。私たちは争うことをやめ、1日、また1日と互いに支え合わなければなりませんでした。今では、互いの絆が深まり、愛も深まりました。私たちが変われたのは、娘が天国で私たちのために祈ってくれているからだと思っています。」

この女性は、ナオミと過ごした4年間に感謝していると語った。その後、彼女は神へのカトリック信仰によって癒しを得た。彼女は今でも時折悲しい気持ちになるが、神は善であり、神が自分を愛していると信じることで慰められている。

新約聖書では、聖パウロはローマ人への手紙8章28節で「神を愛する人々すなわちみ旨によって召し出された人々のためには、神がすべてをその善に役だたせたもうことを私たちは知っている。」と語り、私たちに力を与えてくださる。

今の世の中を見渡すと、神が善であることを信じることが非常に難しいように思える。特に世界中に広がるパンデミックのような、私たちを取り巻く悲劇に対処しなければならない時などは、それが不可能なように思える。しかし、カトリック信仰は聖パウロの言葉が真実であると納得させてくれる。

神が私たちを愛しているというこの真実は、無条件である。神に私たちを愛することをやめさせるようなことは、私たちにはできない。神は常に私たちが必要としているものを与えてくださる。どうすればそれが分かるのだろうか?十字架を見れば分かる。イエスは私たちのために苦しみ、死を迎えた。この世で生きる間、イエスは私たちが行うすべてのことを経験された。彼は、例えば新型コロナウイルス感染症パンデミックの犠牲者のような、愛する者を失う悲しみを知っていた。友人に拒まれることがどのようなことかも知っていた。濡れ衣を着せられ、非難され、十字架の上で処刑されることがどのようなことかを知っていた。神を指さし、「私が経験していることはあなたには分からない」と言うことは誰にもできない。

生きている間は、神は決して私たちをお見捨てにならない。神は私たちが人生の中で起きることに耐える強さを与えてくださる。悲劇的な状況から良い結果を導き出してくださる。

天国では、すべてのつじつまが合うだろう。そこでは、神の計画が明かされる。私たちは、人生で起きたすべてのことについて納得するだろう。あらゆる不正が正されるだろう。あらゆる傷が癒えるだろう。私たちは愛する人たちと再会するだろう。

神は善である。神の愛とあわれみは決して裏切らない。絶望に陥った私たちの世界にその希望をもたらそう。私たちのまわりの苦しんでいる人たちに慈悲を示そう。苦しんでいる人たちに優しく愛にあふれたキリストの顔を見せよう。そうすれば、彼らも万事を益となるようにしてくださる神を信じることができる。彼らを愛する神を。

ノボトニー・ジェローム、OMI

ノボトニー ⋆ ジェローム 神父 について

Oblate Missionaries of Mary Immaculate (0MI)は 聖母献身宣教会 (オブレート 会)に所属するカトリックの司祭ならびに兄弟のグループです。私たちは 全ての人々 --特に貧しい人々 --が人間としての尊厳に対して、完全な自覚を勝ち取るために 努力しています。私たちは、声なき者の叫びを聞き、そして多くの人に聞いてほしい とがんばっています。正義への行動は、私たちの仕事に欠くことのできない部分であ り、抑圧と貧困の原因となる全てを変えようとしているのです。このように、私たち は、まさに命の誕生からその終わりまで、人間の尊厳を認識する社会を創ることにあ ずかっています。
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