(この記事は、「子どもたちへの戦争」を引き起こしている大人の強迫観念を明らかにするノボトニー 神父による継続中のシリーズの一部です。)
インターネット上のポルノは爆発的に増え、何百万ものポルノ・サイトが存在するようになりました。今や、市場規模1000億円に上る活況を呈しています。インターネット・ポルノは誰に対しても説明責任を負うことなく家庭に侵入し、健全な家庭を壊しています。夜ごと、私のパソコンのメールボックスに、30通を超えるフォノグラフィーの電子メールが着信します。なんと、これが日常の出来事になっています。これらの迷惑メールのほとんどは、ワンクリックでポルノ・サイトに無制限にプライベート・アクセスできるようになっています。この簡単な手順が、小さな子どもの好奇心と指先を誘惑します。ポルノ会社は「道徳観念のかけらもなく」、公開ネット・ポルノへの扉を開き、無垢な若い世代がソフトのみならずハードのポルノも瞬時に見られるようにしていました。大企業の目的はただ一つ、金儲けです。例えば、数十億ドル規模のビジネスであるフェイスブックは、児童ポルノを許可しています。
ポルノが家族に与える影響については、多くの研究がなされています。例えば、不倫、離婚、精神的な問題の多発などです。ポルノは、その「4つのA」で知られています。すなわち、Accessible:近づきやすさ、Affordable:手頃な価格、Anonymous:匿名性、Aggressive:攻撃性、という4つのAです。ポルノは、インターネット上で数回キーを押すだけでアクセスでき、簡単に近づけます。多くのオンライン・サイトが、閲覧者を自分のウェブサイトに誘い込もうとして、無料のポルノ・メールを提供しているため、価格は手頃です。自宅のプライベートな空間で見ることができるので、人に知られずにすみます。その目的と利益が桁外れに強く大きいため、激しい押しで迫ってきます。
子どもたちの生活にはどんな害が及ぶでしょうか?たっぷり水の入った大きなコップを手に取り、その水を4分の1の大きさの別のコップに注ごうとしても、それは不可能です。同じことが、大人のポルノを小さな子どもに見せた時に起こります。小さな脳は、そのシーンを理解できません。その結果、子どもが経験する心理的な衝撃やショックを想像してみてください。その時に蝕まれた子どもの心や内面の感情は、この幼少期から大人になるまで続くのです。
ポルノグラフィーとは?
「メリアム=ウェブスター辞典」によると、ポルノとは、見る人に「性的興奮を引き起こすことを意図したエロティックな行為の描写(絵や文字による性的な表示)」と定義することができます。オンライン・ポルノにアクセスするための条件は存在しません。その結果、子どもたちはインターネットを閲覧し、不道徳な性行為に、望みもしないのに触れてしまう危険にさらされているのです。
ネット・ポルノは、さまざまな形で子どもたちに害を及ぼしています。
例えば、(1)研究によると、「メディアは教える能力が非常に高い」ことが分かっています。スーザン・ビラニは、「過度のメディア利用、とりわけ暴力的、ジェンダー的、性的に露骨なコンテンツを含むものは、子どもの世界観を歪め、リスクの高い行動を増やし、持続的で良好な人間関係を保つ能力を損なうと述べています。(『メディアが子どもや青年に与える影響:10年間の研究調査』)。
(2)また、ポルノが女性への攻撃性を促進するという研究結果もあります。マイケル・フラッドは、メディアの中の他の性的イメージに比べ、ポルノは性差別的で女性に対する敵意が一層強いと主張している。今日人気のあるポルノの多くに見られる女性に対する攻撃性や暴力によって、少年や若い男性は、女性に対して攻撃的にふるまい、卑下することは社会的に容認されるばかりか、望ましいことであると勘違いしかねません。 (『子どもと若者がポルノグラフィーに曝される害』)
(3)研究によると、ポルノに頻繁にアクセスする子どもや青少年には依存症のリスクがあることが分かっています。キンバリー・S・ヤングは、依存症とは通例、制御不能な衝動を特徴とし、しばしば制御不能に陥り、使用に夢中になり、その行動によって問題が生じているにもかかわらず使用を続け、その結果、性的快楽の「生涯続く苦悩」に陥る可能性があると述べています。(『インターネット中毒:新しい臨床現象とその結果』)。
推定では、12歳から18歳の青少年のうち、90%あるいはそれ以上がインターネットにアクセスしていると言われています。低学年の子どもたちは、インターネット上のデータを偶然に閲覧することで、ポルノに触れてしまうのです。驚くべきことに、インターネットでポルノを閲覧する子どもの70%は、公立の学校や図書館で閲覧しているのです。それ以外に、親が持っているポルノに触れることもあります。アジアでは、性的な搾取のために幼い子どもたちを仕込もうとして、彼らをポルノに触れさせる性犯罪者が増えています。貧困層における人身売買は、その代表的な例です。「日本における子どもの性的搾取の現状」という記事があります。どうぞお読みください。
このような目に遭わされて、子どもは不安になります。子どもたちは、嫌悪感やショック、恥ずかしさや怒り、恐怖、悲しみなどの感情を訴えています。彼らの多くは、不安やうつ病の症状に悩まされます。中には、見せられた大人の性行為を実行に移さずにいられなくなって、結果的に他の子どもたちを被害者にしてしまうこともあります。つまり、ネット・ポルノへの接触が、性暴力を常態化させ、非現実的な期待を生み、依存症のリスクを高めるという、甚大な被害をもたらすのです。ネット・ポルノの感染拡大は、今やインターネットの世界に氾濫し、汚染しているのです。
この問題に関して、カトリック教会はどのように教えているのでしょうか?
カテキズムは、ポルノを「実際のあるいは見せかけの性行為を取り上げ、意図的に第三者に提示することです」(『カトリック教会のカテキズム』2354)と定義しています。
カテキズムは、ポルノが誤りであり罪である理由を3つ挙げています。第一に、「ポルノは貞潔を傷つけることになります」純潔な生活を送るようにと召されたキリスト者は、肉体的・精神的存在の統合に関わる自分自身の人間の性の聖性を尊重しなければなりません。第二に、「ポルノに関わる人々(俳優、商人、鑑賞者)の尊厳を大いにおとしめるものです」。それぞれが個人的な快楽や利益のために、何らかの形で自分を搾取したり、他人を利用したりしているのです。ポーズをとる人、制作する人、配布する人、楽しむ人など、すべてにおいて、人間の尊厳が貶められています。第三に、「お互い同士を不自然な世界の幻想に陥れるものです」。本物の愛は、常に他の人のために自分を捧げることを含みますが、ポルノは、変態的なファンタジーの利己的な世界に引き込むように人を誘うのです。
成熟した大人であるキリスト者として、子どもたちにとってインターネットをより安全なものにするために、その具体的な方法を見つけることが必須です。イナフ・イズ・イナフ(もう我慢できない)の代表ドナ・ライス・ヒューズは、「子どもたちの純真さは戦う価値があるものです」と述べています。
聖書の中で、神は子どもたちを祝福であり贈り物であると言っています。その魂は純真さと喜びと笑いに満ちている、と神は言っています。イエズスは、私たちに幼な子のように、信仰と信頼に満ちてイエズスのもとに来るようにと言われます。イエズスは一人の子どもを呼んで、真ん中に立たせて言われた。「まことに私は言う。あなたたちが悔い改めて子どものようにならないなら、天の国には入れぬ。だれでもこの子どものようにへりくだる人が、天の国でいちばん偉い人である。また私の名のために、こういう子どもを受け入れる者は私を受け入れる。」(マテオによる福音書18章2 —5節)
もし、誰かが子どもをつまずかせるようなことがあったらどうでしょうか?イエズスはマテオ福音書18章6節でこの点を明確に説明しています。「もし私を信じるこの小さな者を一人でもつまずかせたら、その人はロバのひき臼を首にかけて、海の深みに沈められるほうがよい。」ネット・ポルノは間違いなくこの範疇に入るものです。
この問題を解決する最も簡単な方法は、大人がネット・ポルノを見るのをやめることです。自分自身のために、妻のために、子どもたちのために。要するに、家族のために。どうして? それが正しいことだからです。
神の祝福を
ノボトニー・ジェローム、OMI
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以下のものもお読みください。
ローマ法王・フランシスコ:ポルノの子どもたちへの害について言及
ローマ法王・フランシスコ:「デジタル世界における子どもの尊厳」に関する会議参加者に向けてのご挨拶
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英語原文:War Against Children: Pornography – “Net Porn” (Part 4)
翻訳日 2022年3月1日
翻訳者 西野 翠 / 大岡 滋子