私は身をかがめて、息子にキスをした。

今日の社会では多くの人々が、中絶後に母親が感じる痛みについて理解する。だが、男性の中絶後症候群についてはどうだろう?胎児が大きくなるのに伴い、こうした中絶の結果、痛みに嘆き苦しむ父親が増えるという研究結果がある。最近の研究では、子どもに欠陥や障害がある場合でも、父親は子どもを守りたいと思うことが分かっている。英語の記事を紹介しよう。「『友人』は、私が我が子のような口蓋裂の赤ん坊を中絶することに賛成するだろうと思い込んでいたが、彼は完全に間違っている」 (My ‘Friend’ Assumed I’d Be Pro Abortion for Cleft Babies Like Mine & He’s Dead Wrong)

日々のニュースを見れば、障害を持つ胎児が世界中で信じられないレベルの差別に直面し続けていることが分かる。最近標的となったのは、口蓋裂が確認された胎児である。このような赤ん坊が、急激に驚くべきペースで中絶されているのを知って驚いた。悲しい点は、口蓋裂は「障害」でさえないということである。口蓋裂は欠陥の一つであり、今日の医療技術では簡単に矯正することができる。

口唇裂および口蓋裂とは何か?「口唇裂」とは、胎児の顔面構造の発達中に発生する上唇の割れ目や裂け目が、完全に閉じないものをいう。口唇裂のある赤ん坊では、口蓋にも裂け目ができることがあり、これを「口蓋裂」と呼ぶ。口唇裂と口蓋裂は、最もよくある先天性異常の一つである。

口蓋裂を持つ子どもは、どう考えてもやはり子どもである。

エレミア書1章5節には、「わたしは、母の胎内にあなたを形造る前からあなたを知り、あなたが生まれる前にあなたを聖別した」という神のことばがある。口蓋裂のような欠陥があるからといって、人間性が劣るわけではない。つまり、先天性異常による中絶は正当化できないということである。

口蓋裂のある赤ん坊が生まれれば、多くの親は動揺するだろう。しかし、ほとんどの赤ん坊では、一連の手術を行うことで簡単に正常な機能を回復させ、傷跡を最小限に抑えて普通の外観を得ることができる。治療を受けた子どもたちは成長し、全く普通の生活を送っている。

軽い手術で簡単に治すことができるという事実にもかかわらず、口蓋裂を持つ胎児の中絶は、米国、ヨーロッパ、そして世界中のほとんどの国々で依然として合法である。ダウン症候群の胎児(推定中絶率は約90%)と同様に、口蓋裂の胎児の中絶についての争いは過熱するばかりである。私は、この胎児の虐殺は人道に対する罪であると信じている。関係者は、罪のない人間の生命を意図的に奪ったことに対して処罰されるべきである。

口蓋裂を持つ乳児は、毎年何人生まれているだろう?推定では、世界中のどこかで3分ごとに口唇裂や口蓋裂を持つ赤ん坊が誕生しており、最もよくある先天性異常の一つとされている。特に、アジアの発展途上国では、赤ん坊の500人に1人が口蓋裂や口唇裂を持って生まれてくる。

口蓋裂によって中絶が正当化されるだろうか?生まれつき口蓋裂を持つ子どもは、乳幼児期に修復術を受けるのが一般的である。最近では、口唇裂や口蓋裂を修復しないままで歩き回っている人を見かけることはめったにない。つまり、中絶を正当化することはできないということである。

教皇フランシスコは、この種の中絶を「非人道的優生学」として要約している。より正確に言えば、教皇フランシスコは、病気の胎児であっても中絶することは、「殺し屋」を雇うようなものであると述べている。カトリック教会の教えでは、口蓋裂のある赤ん坊の中絶は100%容認できない。

カトリック教会は、人間の生命が神聖なものであると教えている。社会から神を排除することにより、多くの国で胎児を殺すことが「当たり前」になっていることを教えている。ダウン症候群、足の奇形、口唇裂や口蓋裂、その他の医学的異常を持つ赤ん坊の中絶は、ますます一般的になってきている。

カトリック教徒が、立ち上がるべき時が来た。「人が望むこと」ではなく、「神が望むこと」に従う時が来たのである。神は、カトリック教会の枠組みの中で私たちに語りかける。神は毎日、教皇フランシスコを通じて私たちに語りかける。神自身のことばを含んだ聖書を通して、私たちに語りかける。今日、神は私たちに、すべての人の生命と尊厳が尊重され、あらゆる段階やあらゆる状況で保護されなければならないことを教えている。

洗礼の秘跡を通して、カトリック教徒は神と生命を分かち合う。そして、成熟したカトリック教徒になるためには、周りの世界が何と言おうと、神を100%信頼することが必要なのである。その理由は、神だけが道であり、真理であり、命であるからである。マタイによる福音書25章40節において、神は「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたことは、すなわち、わたしにしてくれたことなのである」と言っている。

私たちはキリストへの愛に動機づけられる。このキリストの愛により、私たちのために永遠の命への門が開かれた。この同じ愛により、私たちは障害や欠陥のある胎児に手を差し伸べ、彼らを破壊の力から守らずにはいられない。

人間の生命に関する国際的な講演者であるBrian Clowesは、「障害や欠陥のある子どもたちを受け入れるべきか」という質問に答える際に、非常に上手く要約している。

「障害や欠陥を持つ子どもたちは、困難な問題を提示している。この問題に対する社会の答えは、私たちが真に神の栄光を家族や社会に反映させるかどうかを決定するものである。外見や能力が「完全ではない」子どもを歓迎するならば、私たちは真に神の民なのである。先天性異常による中絶は、神の贈り物である子どもを拒絶することであり、よって神自身を拒絶することなのである。」

ノボトニー・ジェローム、OMI

ノボトニー ⋆ ジェローム 神父 について

Oblate Missionaries of Mary Immaculate (0MI)は 聖母献身宣教会 (オブレート 会)に所属するカトリックの司祭ならびに兄弟のグループです。私たちは 全ての人々 --特に貧しい人々 --が人間としての尊厳に対して、完全な自覚を勝ち取るために 努力しています。私たちは、声なき者の叫びを聞き、そして多くの人に聞いてほしい とがんばっています。正義への行動は、私たちの仕事に欠くことのできない部分であ り、抑圧と貧困の原因となる全てを変えようとしているのです。このように、私たち は、まさに命の誕生からその終わりまで、人間の尊厳を認識する社会を創ることにあ ずかっています。
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