イギリスで死の文化が大きな一歩を踏み出した。イギリスは民主主義と個人の権利がしっかりと守られた国として知られている。イギリスのモットー:「間違ったことをするのは権利ではない。」ただし、イギリスにはある「人権」が存在していない。その権利とは、母親の子宮の中にいる子供の生きる権利である。このことが合法化されて以来、弱者、高齢者、無防備な人、病人が死の文化の対象になっている。これらのカテゴリに属する人は、社会の財産とみなされず、むしろ負担とみなされるようになっている。
先の5月、イギリスの判事が「半植物状態」の生後23ヵ月の男児、アルフィー・エバンスに死の宣告をした。判事は、男児に対するケアや治療が「冷酷で非人道的」だと述べた。判事は、「子供を守りたい」というアルフィーの両親の願いを退け、病院側に生命維持装置を外す権限を与えることで、アルフィーの「死亡」を強要した。そのひと時、判事は神のまね事をした。つまり慈悲、愛、そして人間の権利を保護する意思のない人間の神を演じた。判事の唯一の目的は人間の命と権利を守ることではなかったのか?判事に人間の命の価値を決める権利はない。」判事は人間に仕えるもので、その逆ではない。この事実に議論の余地はない。
この出来事が起きたのは、イギリスで中絶が合法化されてから50周年を迎えた翌日だった。アルフィー・エバンスの死に際し、死の文化によって、人間であることの意味について新しい解釈が導入されたと言えるだろう。
Crisis Magazineの以下の記述を読んで私はショックを受けた。アルフィー・エバンスはこの病院の患者だった。
引用:「オルダー・ヘイ病院」はここ数年、スキャンダルの真っただ中にある。1988年から1995年、両親の同意を得ずに800人の子供たちから2,080の臓器を摘出していたことが判明した。また、流産、死産または中絶により得た1,500の胎児を同じく両親の同意を得ずに保管していた。その後の政府による聞き取りで、スキャンダルの中心人物である医師が検死後に子供たちから臓器をすべて摘出するよう違法な指示をした経緯が判明した。この医師は、11歳の子供の頭部を容器に入れて自分のオフィスに保管していた。」
多くの人は、医師、判事、政治家が関わる死の文化から目を背け、それに気づいていない。病院、裁判所、政府の目的な何なのか?その目的は人間の命を守り、奉仕することである。人間の命の意味と価値はとても重要で、法律や政策は命を守るべきであって、命を破壊すべきではない。アルフィーの事例は、悪法が私たちの日常生活を支配し、コントロールしていることを示すものだった。
「小さなアルフィー・エバンスに対する祈りと人々の団結を受け、私はアルフィーの両親の苦しみが人々の耳に届き、新しい治療法を求める願いが受け入れられることを改めて訴えたい。」これらは幼いアルフィーに対する4回目の請願で教皇フランシスコが述べた言葉であり、「命を守るためにあらゆる努力をすることが私たちの義務」と付け加えられている。ご存知のように、イギリスは聞く耳を持たなかった。
聖書をよく読むと、人間であることの意味、他の人の命を奪うことの意味を明確に記述した節がいくつもある。
例えば創世記の9:8-10。神はノア彼の息子たちに言われた。「私は、あなたたちと、そして後に続く子孫と、契約を立てる。あなたたちと共にいるすべての生き物、またあなたたちと共にいる鳥や家畜や地のすべての獣など、箱船から出たすべてのもののみならず、地のすべての獣と契約を立てる。
人の命の価値と尊厳は、創造者である神によってもたらさられている。カトリック教徒として、私たちは、命がその始まりから最後の瞬間まで尊いものであることを認識している。苦しみを和らげるためや個人的な不都合を理由に誰かの命を終わらせることは不当な行為であり、また、自然法に反し、神によって明確に定められた道徳秩序を破ることである。
ノボトニー・ジェローム、OMI