延命は必ず必要なのか?

stock-photo-sign-to-prevent-cancer-192483755「生命のため、友人」 ー 延命は必ず必要なのか?答えは、はっきり言うと「ノー」である。「蘇生禁止」命令が認められる時代が来るかもしれない 。手術をやめて人工呼吸器を取り外す、あるいは治療の中止が医学的に適切とされる時代が来るかもしれない。

医学的に必要ない、あるいは無効 無駄または患者にとって過度に負担になる治療を提供することについて、道義的または倫理的な要件はない。

それ以上治療や治癒ができない時期が来ると、私たちの役割が変わる。私たちは介護者として、 死に近づいている人が求めるときに誰かが寄り添い、痛みや症状を思いやりこめて管理し、 最後の時までその人生が神聖なものとして扱われるようにしてあげるのだ。

I+care多くの人は、治療が患者に与える負担と患者にとっての利益のバランスが重要であると述べている。ただし、私たちが「 負担」と考えることが、家族や保険会社ではなく、患者にとって本当に負担なのか、 間違った優しさではないのか慎重に考えなくてはならない。

死に近づいている人が自然な死を迎えられるようにすることと、 死を直接誘発するための作為と不作為の違いは常に明確にしなければならない。 私たちがまず念頭に置かなくてはならないのは、こうした意志なのである。

 

医師や看護師は殺人者になるべきではない。安楽死は人を使い捨ての物体として扱う。私たちはその可能性を懸念し、 さらには恐れを抱く必要さえある。

 

ノボトニー・ジェローム、OMI
2014年6月23日掲載
英語原文:  Invisible Trend: Must we always prolong life?

 

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caregiver_wives2_pm-thumb-270x270「い のちの祈り」 ー 

ああ、マリア、
新しい世界の輝かしい夜明け、
いのちあるものの母、
わたしたちのいのちをあなたにゆだねます。
産声を上げられなかった赤子たち、
いのちの危機に瀕している貧しい人々、
残忍な暴力の犠牲となっている男女、
無関心と誤ったいつくしみのゆえに殺害される高齢者や病人たち、
これらの人々に母としてのまなざしを注いてください。
御子キリストを信じるすべての人が、
真心と愛を込めて、
今の時代に生きる人々にいのちの福音をのべ伝えることができますように。
この福音を、
まったく新しいたまものとして受け入れる恵みと、
生涯をとおして感謝のうちにたたえる喜びと、
堅い決意をもってあかしする勇気を与えてください。
創造主であり、いのちを愛するかたである神の賛美と栄光のために、
すべての善意の人々と手を携えて、真理と愛の文明を築くことができますように。  「第二バチカン公会議『教会憲章』 #68」

 

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ノボトニー ⋆ ジェローム 神父 について

Oblate Missionaries of Mary Immaculate (0MI)は 聖母献身宣教会 (オブレート 会)に所属するカトリックの司祭ならびに兄弟のグループです。私たちは 全ての人々 --特に貧しい人々 --が人間としての尊厳に対して、完全な自覚を勝ち取るために 努力しています。私たちは、声なき者の叫びを聞き、そして多くの人に聞いてほしい とがんばっています。正義への行動は、私たちの仕事に欠くことのできない部分であ り、抑圧と貧困の原因となる全てを変えようとしているのです。このように、私たち は、まさに命の誕生からその終わりまで、人間の尊厳を認識する社会を創ることにあ ずかっています。
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